今この本を読んでいます。ダン アリエリー (著), 熊谷 淳子 (翻訳)(2013)『予想どおりに不合理』早川書房
行動経済学の本で、「人間は非合理だけどこういうような行動をとるのである」ということについて述べた本です。特に仕事に生かそうと思ったわけではなく、読み物として楽しく読んでいましたが、その中で私たちが取り組んでいる語学教育にも関係がありそうなことが出てきたのでここで少しシェアしてみたいと思います。
本書の第7章「先延ばしの問題と自制心」というところからかいつまんでみます。
締め切りの実験
大学の授業です。その授業で単位をとるためには3つのレポートを出さないといけません。Aクラス、Bクラス、Cクラスという3つのクラスがあり、その3つのクラスで別々の条件を設定しました。
最初の授業の時、先生が3つのレポートについてこう言います。
A)「みなさんがそれぞれのレポートの締め切り日を決めて、宣言をしてください。」
B)「それぞれのレポートの締め切りは以下の通りです。これを守ってください。」
C)「最後の授業が終わる時がそれぞれのレポートの締め切りです。」
少し補足をします。
Aクラスの場合、学生自身ですべての締め切りを決められるので、「一つの目のレポートは5週目、2つ目のレポートは10週、3つ目のレポートは15週目」などのように最初の授業で決めます。もちろん「すべてのレポートの締め切りを最後の週にする」ということも可能ですし、「3週目にすべて提出する」と決めることもできます。完全に学生の自由です。
Bクラスの場合、学生に選択の余地はありません。この実験の場合、3つのレポートの締め切りを等間隔になるように配置したようです。
Cクラスの場合は、とにかく最後までに3つすべてを出せばよいということです。締め切りですから、早く出す分には構いません。
で、共通することとして、「締め切りを一日過ぎるごとに成績を-1%にする」という決まりがあります。
さて、みなさんはどのクラスの学生が最も成績が良かったと思いますか。ちょっと考えてみてください。
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答え
レポートを同じ基準で評価したときに、もっとも成績が良かったのは、
Bのクラス
だったそうです。Bのクラスがどういう条件だったかと言うと、
3つのレポートの締め切りを等間隔になるように先生が設定したクラス
です。そして、もっとも悪かったのはCのクラスで、3つのレポートの締め切りが「最後の授業まで」とだけ決めていたクラスです。
なかなか興味深い結果ですよね。このような結果から著者が導き出した結論は、
第一に、学生はたしかに先延ばしする(大ニュースだ)。第二に、自由を厳しく制限する(等間隔に配置した締め切りを上から強制する)のが先延ばしにいちばん効果がある。
としているんですが、もう少しこの話は続きます。
Aのクラスは自分で締め切りを設定できるわけですが、多くの学生はその締め切りをBの学生と同様に等間隔になるように決めていたそうです。そして、そのような学生だけを抽出してBのクラスと比べると成績に差はなかったそうです。ではなぜAのクラスの成績は全体でBのクラスに劣っていたかと言うと、Aのクラスの学生の中にはCのクラスの学生のように「すべてのレポートの締め切りを授業の最終日まで」に設定していた人がいるんです。そのような学生がAのクラスの平均点を下げたのです。
このような事実から著者は、
最大の新発見は、学生に締め切りをあらかじめ決意表明できるようにするツールを与えるだけで、いい成績を取る助けになるということだ。
と言っています。
自律性を育てる
短期的に何らかの結果が求められる場合はBのやり方がいいでしょう。有無を言わさず、上からトップダウンですべて指示を出す。結果がすべての場合はもっとも効率が良いと言えるでしょう。
例えば、今は少し変わってきているとは思いますが、高校の部活動などはその典型だと聞いたことがあります。特に甲子園の常連校みたいなところはとにかく結果を出さなければなりませんから、鬼監督みたいな人が理想的なカリキュラムを組んで、生徒たちをそれに従わせます。1年生は体力をつけるためにランニングだけとか。
あとは進学予備校とかでしょうかね。生徒本人にとっても、予備校にとっても、大事なのは「●●大学に入った」とか「●●大学に何人輩出」みたいなことでしょう。
※すみません、部活にしても予備校にしても私の想像です。それと違う指導をして良い成績を上げているところもあるとは思います。
ですが、私たちが従事しているのは日本語教育じゃないですか。外国語学習って、長い道程ですし、私たちが担当している授業というのはその学習者にとってみれば文字通り「単なる一コマ」に過ぎません。だったら、著者が言うように、
締め切りをあらかじめ決意表明できるようにするツールがあるだけで、いい結果を出す助けになる
ということを身を以て体験してもらうことがその学習者にとって良い経験になると思うんですよね。今は学校で学んでいるかもしれませんけど、学校を卒業しても外国語は勉強するかもしれません。その時に自分なりに計画を立てて、自らの学習を管理できるようになってもらえればそれは教師にとってはうれしいことですよね。
まあ、この実験の場合には「全員が良い成績を取りたいと思っている」というのが前提条件となっているから、そういう前提条件がなくなった場合にどうするか、という問題は残りますけどね。
教師としては
教師としてもこの「真理」を生かさないわけにはいかないでしょう。クラスのメンバーの中には自律性の高い人もいればそうでない人もいます。そもそも自律性の高い学生はほっといても勝手に伸びていきますが、そうでない人を少しでも高めるにはこういうことを利用しないといけません。
今思うと、一つ私の成功体験みたいなものがあります。それはJLPT対策の授業です。
もう10年以上前のことですが、私授業時間以外での勉強時間の確保が必須と考えました。そして、ある一冊の対策本と心中することを決めて、「●月●日までにこの本を2周りやってください」と指示しました。
ただ、それだと学習の進捗状況がわからないので、進捗状況確認表みたいなものを作って渡しました。そのページの問題を解いたら学生自身がチェックを入れて、それを見たら私も学習者がどのくらい熱心に自習をしているかがわかる仕組みです。その表を元に週に1回個人面談をおこない、「ちょっと遅いね」「いいペースだからこれもやってみたら?」みたいな指導をしたりしました。
で、結果は全員が目標の級に合格しました。そのうちの半分くらいは初心者だったんですが、3か月の準備期間でN3に合格したのは素晴らしいと思いました(韓国語母語話者です)。
最終目標(問題集を二回りする)は決まっているので、それを等分すれば1週間にどのくらいやればいいかは馬鹿でもわかるという状況でした。「学習者自身で細かく締め切りを決める」ということはやっていませんでしたが、概念としては割とAに近い状況だったのかな、と思っています。あと週1の面談も良かったかも。
まあ、一回うまくいったからと言って次上手くいくとは限りませんが、Aのやり方は常に意識してもいいかもしれません。
試験対策、みたいなものなら↑の例のように割とわかりやすいですし、あとはクラスやその個人の目的目標に合わせて自分で締め切りなどを決めさせる、ということですね。スピーチ大会に出る、みたいな場合でもそのフェーズを細かく先生がわで分けてあげて、
・●月●日までに原稿下書きを提出する
・●月●日までにフィードバックを踏まえて清書原稿を書き上げる
・●月●日までに原稿を全て覚える
・●月●日までに●●先生を訪ねる
みたいなものを考えさせるといいかもしれませんね。その時教師の仕事としては、締め切りの間隔を検討した上で、「ここはもう少し間隔をあけた方がよいのではないか?」などの指示を出してあげてもいいかもしれません。↑でご紹介した実験のAではその締め切りの設定は全的に学生に任せたみたいですが、それがいい結果につながらないということはわかっているので、そこで指導を入れてもいいでしょう。もちろん日ごろから見ていて、この学習者なら自分でちゃんとやるはずとわかっている人には細かく指示を出さなくてもいいかもしれません。
まとめ
というわけで、最近読んでいる本から面白かった部分をご紹介しました。結論としては、
学生に締め切りをあらかじめ決意表明できるようにするツールを与えるだけで、いい成績を取る助けになる
ということですね。ちなみに同書は別に語学教育のための本ではありませんので、この実験結果を日常生活で応用する場合としては、・健康診断を受けさせる方法として先にデポジットを出させておいて、自分で診断の日を決める。実際に受けたらデポジットを返還するなどの施策の提案
・自分で設定した金額以下の支出だった場合に、それが自動的に長期貯蓄に回るようなクレジットカードの提案
などをおこなっています。
そこまでシステマチックなものじゃなくても、給料から天引きで長期貯蓄にお金を回すように設定するなんてものならやっている人はいるかもしれませんよね。それもある意味Aですよね。
ちなみに似たようなことは↓の記事でも書いています。興味のある方はぜひご覧ください。
■行動心理学の実験結果を日本語教育場面で考えてみる(1) 決断
■行動心理学の実験結果を日本語教育場面で考えてみる(2) 取り掛かりを容易に
■行動心理学の実験結果を日本語教育場面で考えてみる(3) 仕事術
■厳しさと日本語教育①
■厳しさと日本語教育②
■厳しさと日本語教育➂